こころゆたかにおだやかに。

元気に生きる為の私へのエールblog

どんな時も自分を大切に。

またまたコメダ珈琲に来ました。

一人は落ち着きます。

久しぶりのモーニング、

頼み方がわからないので

ローブパン、卵、珈琲、苺ジャム

にしました。

この場合、マヨネーズが効いた

卵はどう食べるのでしょうか?





結局、挟んであるジャムの部分を

食べ残りのパンで卵サンドに

して食べました。

美味しい〜っ





異常なまでに

気を使う性格なので

一人の時間は大袈裟ではなく

生きるために必要です。

普段はサービス系の自営業を

20年一人で営んでいます。

自営は気楽で自由でよいね〜っ

なんて言われますが

気楽な仕事なんて

ありますかいっ






時々、自分が持つ障害を

思うのですが

まず会社勤めは無理です。

でも星の数ほど仕事はあるし

もっと自由に仕事を増やせば

息苦しさを感じる人も

障害を持つ人の家族も

楽に生きられるのになって

思います。







そんな時、戦後の時代に

思いを馳せるのですが

生きる為にする事が

仕事とするならば

もっと自由になれるんじゃ

ないかな?と思いますって

たまたま自分の選んだ仕事が

合っていたから

偉そうにごめんなさい。






わたしはおじいちゃんが

していた仕事に似た仕事を

しています。

もしかすると、

したい仕事が見つからない人の

ヒントになるのかな?





今朝は朝イチで

美容院へ行き

老けた風貌を整えて 

頂きました。

短いマッシュボブに

してもらいました。

自分で言うのも何ですが

若返りました。

自営業どうしの悩みあるあるも

お話出来て心も軽くなりました。







結局、主張するより

同感してもらえるのが

1番ホッとするから

貴重な時間です。

珈琲もいつもに増して

美味しく感じます♡






依存性の母との暮らしに

うんざりしていましたが

美容師さんのお母様も

お歳を取られて

同じような毎日のようでした。








母に気を取られて

一生の時間を

無駄にしないように

今日も幸せな時間を

過ごしたいと思います。







お正月休み明けは

家族にエネルギーを

注ぎすぎてまた、

鬱になりそうでしたが

ひたすらに空いた時間を

静かに過ごしていると

自然に平常心に

戻って行く気がします。







鬱を改善するのは

本当に時間がかかるので

鬱になるくらいなら

人間関係を削いで

平常心の時にお茶出来る

友達が1人か2人

いればわたしには、、ですが

心地よいみたいです。







何も人間と付き合わなくっても

ご機嫌になれる術は

たくさんあります。

仕事は対人ですが

そこは仕事だから別キャラに

動いてもらってます。

当たり前に疲れるんだけど

もっと極めたいなぁ、と

思います。双極性特有の持ち味?




とりとめのない

お話でした。



発症。




母が双極性障害を発症したのは

忘れもしない私が22歳の時です。


さかのぼりますが、

母が父と離婚したのは私が中学二年生の時。父が商売に失敗をして二億円以上の借金をし、引っ越しや転校を2回続けた一年後のことでした。

生まれ育った土地を離れ、仲良しだった友達と別れる辛さや田舎から都会での暮らしや友達のいない教室はただただ寂しく辛いだけの時間でした。


そこで中学二年生のわたしは初めて悟りを開きます笑


「辛い時はただ生きていて良いのだ」


これを極めて行けば友達のいない林間学校も、

また転校した矢先の修学旅行まさかの独り歩きも辛く無いとは言い難い日々も乗り越えて今があるのだと思います。


友達が居なくても家に帰れば大好きなミシンもあるし、休日は少ないお小遣いで買ったパン作りの本を見ながら美味しい香りに包まれる事が何よりの楽しみでした。


ミシンは母がお嫁に来た時に持たせてもらった直線縫いと端ミシンの機能のついた古いものでしたが、当時母がパート勤めをしていた縫製工場で余った安く譲ってもらえる生地で流行りのバルーンスカートやマーメイド型のロングスカートや少し上級の裏地生地をつけた光沢のあるワンピースは雇用促進アパートでの貧しい暮らしをしているようには見えない服に思えて得意な気持ちになったものでした。


自分で言うのもはばかれますが、何にでも一生懸命に取り組む真面目な性格だったので勉強も熱心にして進学を希望していましたが、母にヒステリックな鬼の形相で進学を反対されたので就職しやすい高校に入学、卒業後はすぐに就職しました。


あの頃は進学出来ない自分にとてつもないコンプレックスを持ち、毎日母を恨みごとをノートにと書き続けていましたが、親になった今は子どもを育てるにはお金もいるし気持ちに余裕がないと子育てはとても辛いのだと理解出来ます。


就職してからはとても自由でした。もともと兄と妹がいる中間子のわたしを縛るものはなく正社員としてデパート勤めに深夜喫茶のアルバイトで一人暮らしの生計を立て気ままに暮らし始めます。

転職もしました。医療事務の資格も取り総合病院での事務や歯医者さんでの受付事務、NTTでの電話番号案内のオペレーター業務にタイ王国料理店など好奇心だけで本当に自由にお仕事をコロコロと変えて生きていました。

中学生から今まで30以上のアルバイトや仕事をしました。



1番長く続いたのは7年通った深夜喫茶での厨房でのお仕事で食事もまかないを食べさせてもらってオーナーには調理師の免許まで取らせて頂いたので今でも感謝しています。オーナーはままちゃんと慕いとても人情味に溢れる人でした。冷めた生き方をしていた私に温かい言葉を沢山くれた女性でした。



25歳の年末。彼氏も居ないのに結婚がしたい。と深夜喫茶をやめた時はあんたほどワガママな人間知らんわ。とままちゃんには言われてしまいましたがワガママを全部受け止めてくれたままちゃんは私の第二のお母さんだったんだなぁと思います。この時にお母さんは誰でもなれるんだと思いました。



そこから一年後。父子家庭で4歳の男の子を育てる主人と友達の紹介で出会いまた一年後に結婚します。



母の発症まで書けませんでした。眠くなって来たのでのちのち書きましょう。



今日は白菜と鯵ミンチのお鍋に豚肉てさつまいもの炊き込みご飯をお夕飯に作り、

今週を乗り切るためのご褒美おやつ、バナナとさつまいものカップケーキに小豆を炊いてぜんざいを作りました。


母との暮らしは時々追い詰められる時があります。でもわたしの一度きりの人生こころゆたかにおだやかに生きたいのです。夕方に気分転換にコメダ珈琲店へ行き一息ついて、ふとこのblogを始めてしまいました。



今日も良い1日。

明日も良い1日に。

はじめまして

昭和46年生まれ、イノシシ歳の51歳主婦です。


現在、一昨年結婚し県外へ転勤した長男に男の子が産まれ春に長女が県内ですが車で3時間の

街に就職をし次男は県外の大学生です。


仕事は自営業でコロナの影響で家事に育児にお付き合いと多方だった生活を少しずつ見直しています。


母子家庭で育ち離れた父とも程よい距離で付き合い、わたしが22歳の時に双極性障害を発症した母とも一緒に暮らしています。


わたしには兄と妹がいましたが38歳で妹は他界。今は長男が親を見る時代ではないと言い聞かせながらも“どうしてわたしばかり?”と言う気持ちに何度もなった母との暮らし。

決して今が不幸せではないのですが、わたしの経験がどなたかの救いになれば。



あれだけ荒ぶる日々を過ごしていた母ですが今はおとなしくなり、洗濯を畳む程度の少しの家事をしてニコニコと暮らしています。



そしてわたしも衰えを感じる年頃になり、一度きりの人生を少しでも元気に楽しく過ごせるようにわたしが私を応援するブログにしたいと思います。